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めざすは「心を豊かにする」工学。”魔法”で人々に驚き、感動、笑顔を。

人の心を豊かにする。その手段として、映画、小説、演劇、アミューズメントパークなどさまざまなものがあるが、
これらとはまったく別のアプローチで人々の心を豊かにしようとする研究者がいる。東京大学工学部の苗村健准教授だ。

「熾烈な競争社会を勝ち抜くための技術開発だけが工学の役割ではありません。工学は心の豊かさにも貢献できる学問でもあるのです」果たして、“工学”によって、どのように人の心を豊かにするのだろうか。

「目指しているのは魔法です」──。

「メディア・コンテンツ」という研究

人で混雑する雑踏の街をビデオカメラで撮影し、リアルタイムでモニタに映す。そこにある操作を加えると、目の前を行き交う人々が忽然と消え、建物だけが残る。これは、苗村准教授が開発した映像処理技術『Thermo-Key』で、撮影と同時に温度も計測し、リアルタイムに特定の温度をもつ部分だけを透明にしたり、モザイクをかけたりすることができる。街中のTV撮影などで、映像に映りこんだ無関係の人の顔に自動でモザイクをかけるといったことに応用できる。

苗村准教授の研究テーマは『メディア・コンテンツ』。まだ一般的にはあまり知られていない研究分野だが、慶應義塾大学大学院に同様の研究を行う「メディアデザイン研究科」が設立されるなど、ここ数年急速に注目を集めている。『Thermo-Key』の開発もその研究の一環だ。

「テレビやラジオ、パソコンなど、人に何かを伝える手段のことを『メディア技術』といいます。これまでメディア技術の研究は、いかにスペックを高めるかという発想でしたが、『人にどんな体験をしてほしいのか』と考えた場合、メディア技術だけでなくコンテンツも一緒に検討する必要があります。我々はそれを『メディア・コンテンツ』と名づけ、研究を行っているわけです」

研究室には30人以上の学生がいて、意見交換や議論を重ねて『Thermo-Key』のほか、さまざまな技術を開発しているという。

工学も「心の豊かさ」に貢献を

メディア・コンテンツはこれまでの工学にはない特徴がある。「人の心を豊かにする」という理念である。
「たとえば」苗村准教授は1つの例を挙げる。

「ガンを治すプロジェクトと我々の研究のどっちをとるか、となると、おそらく『ガンが治ったほうがいい』となると思います。我々の研究は、なければすぐに死んでしまうという類のものではないんですね。しかし一方で、人はただ生きていればいいというものでもありません。楽しみや生き甲斐があることで初めて充実した人生を送ることができる。長期的な視点に立ったときに、我々の研究は必ず必要となるものだと思っています」苗村准教授には原体験がある。少年時代、親に隠れてこっそりパソコンをいじり、マンガやアニメにも数多くふれた。いずれも心躍る体験だった。

「日本にはゲームやアニメなど世界を席巻しているものがあり、学生たちも日常的に接して生き甲斐を得ている。工学でもそれらがテーマになるような研究があってもいいだろうと。また、内閣府が行った世論調査をみても、日本人はモノよりも心の豊かさを追い求め、その傾向は年々強まっています。工学に携わる我々も、そうした思いに応えていく必要があるだろうと感じていました」苗村准教授はメディア・コンテンツを、「人が笑顔になれる技術を開発する研究」と位置づけ、想像を超える技術を次々と開発している。

魔法と見分けがつかない高度な技術を

その1つが『裸眼立体ライブ映像システム』だ。文字通り、裸眼のままライブ映像が立体に見えるシステムで、64個のカメラを8×8の格子状のラックに並べて撮影し、特殊な画像処理によってモニタ上に3Dで表示するというものだ。将来的には遠隔地にいる人物の像が立体的に浮き上がり、あたかも隣にいるような感覚でコミュニケーションできるようになるかもしれない。

『可視光通信プロジェクタ』は、プロジェクタが投影する光を1秒に1万回以上の超高速で点滅させ、人の目からは一見何の変哲もない光の中に情報を埋め込む装置だ。無線LANなどの電波で通信する方式と異なり、受信端末の位置によって読み取れる情報を変えることが簡単にできる。壁に日本地図を投影し、東京が映し出されているところに受信端末をかざすと東京の説明が流れ、京都の位置にかざすと京都の説明が流れるといった具合だ。

「『影』に情報を宿せるか」をテーマにした『Graphic Shadow』も面白い。2つのプロジェクタの映像を左右から同じ場所に向けて照らして光の足し算が起こるようにする。その時点では表面上は単なる真っ白い光でしかない。ところがそこに人が入り、光が遮られると、光の足し算の中に“引き算”が起こり、真っ白だったところに映像が浮かび上がる。エンターテイメントの本場、アメリカのラスベガスから購入の引き合いがあっただけでなく、人気彫刻家の名和晃平氏とのコラボレーション作品『Dot-Movie』としてすでに結実している。

文部科学大臣表彰若手科学者賞、日本バーチャルリアリティ学会論文賞、映像情報メディア学会丹羽高柳賞論文賞、FIT船井ベストペーパー賞、グッドデザイン賞、NHKデジスタアウォード……。2000年代。苗村准教授の研究は加速度的に注目を浴びる。これらは苗村准教授がここ5年ほどの間に受賞した賞の一部だ。苗村准教授には好きな言葉がある。有名なSF作家であるアーサー・C・クラークのものだ。

『高度に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない』

「工学の研究者なら、より難しい魔法のような技術を目ざしていくべきだろうと。そうすれば自ずと驚きや感動、喜びを与えられると思います」苗村准教授が創りだす数々の魔法。「心を豊かにする工学」は、人々の心を確実にとらえはじめている。

研究紹介

研究名:KineReels(キネリールス)

武井 祥平

舞台演出や空間演出で、棒状のものを使って上にモノを上げたい場合、その下部は、棒の長さ分の深さが必要になるという問題があった。そこで、棒を使う代わりにスチル製の巻尺を使用。3方から3つの巻尺を合体させ、さらにマジックテープで固定して強度を出している。 

3つの巻尺を合わせるために筒状の部品が必要となり、市販のものを使用しようとしたが、規格のものしかなく、最終的に3Dプリンターによって造形することで問題を解決した。 細かな動きを実現できれば、同じ装置を複数使うことで床や壁を波打つような動きにすることも可能になり、演出の幅を広げることができる。

研究名:光ファイバー ディスプレイ

三宅 正陽

光ファイバーを使って映像の立体表現を狙った研究。光ファイバーの長さを変えた束を2つつくり、一方に背景、もう一方に人物の光を当て、最終的に2つを束ねて長さの違いにより立体表現している。2つの光ファイバーの束を束ねるための四角い枠は、光ファイバーの本数などによって大きさも変わるため、既製品では難しく、3Dプリンターによって造形した。応用分野としてはイルミネーションが手っ取り早いが、デジタルサイネージ(電子看板)への応用も模索している。

研究名:MRsionCase(エマージョンケース)

金 ハンヨウル

博物館などでの展示品の説明文は、展示物の前の壁面、あるいは手持ちのパンフレットなどで得るのが定石だったが、それを覆した作品。展示物の前後の空間上に、説明文が浮かび上がり、展示品を見ながら裸眼のまま情報も得られる。複合現実(MR)を狙ったシステムである。仕組みは展示品前にある45度に傾けられたガラスと、その上下に配置されたiPadにある。iPadの画面がガラスに反射して展示物の前後に像として浮かび上がり、それが四面にあるため、360度どこからでも見ることができる。ガラスを支えるケースに3Dプリンターが使われたが、厳密に45度の角度にする必要があり、学生が自ら設計した。

苗村研究室と3Dプリンター

「我々は回路を組むことはできても、実世界で使うモノをつくろうとすると、そのノウハウがほとんどなかった。そのため、木の板にセロハンテープで洗濯バサミをぶらさげるといったレベルになっていました」

とくに問題だったのは思ったような形に仕上がってこないこと。苗村准教授らがつくるものは、何度も何度も微調整をしながら最適な形を探っていくようなものが多く、当初は外注することでしのいでいたが、コストも時間もかかっていた。3Dプリンターも検討したが、精巧につくれるものの強度の面では劣る。そんなとき出会ったものが3DプリンターのDimension(ディメンジョン)。4年前のことだ。

「ABS樹脂なので強度があり簡単には壊れない。一度しっかり設計すれば、同じものが何個も複製できることは魅力でした。また最近、学内や他大学の研究者仲間も同じ3Dプリンターをもつようになり、短期間に大量につくりたい場合、互いに融通し合えるというメリットも生まれています」

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