日本有数の広大な鉄道ネットワークを誇る近畿日本鉄道株式会社。その安全運行は、地域社会の生活基盤を支える上で不可欠な要素であり、特に踏切事故への対策は、同社にとって優先課題の一つである。これまでは車を対象とした光センサー式検知システムや検知領域を拡大した平面式センサー式検知システムの導入を進めてきたが、昨今のAIの発展により革新的な検知システムの導入ができないか考えられていた。
この課題に対し、近畿日本鉄道株式会社は丸紅I-DIGIOが提供するAI人検知ソリューション「TRASCOPE-AI」の導入を決定。このシステムは、AIによる高精度な骨格推定技術を活用することで、従来のセンサーでは困難だった踏切内の人の滞留検知を実現した。
丸紅I-DIGIOとの緊密な連携を通じて、最先端のAI技術を活用した「TRASCOPE-AI」はいかにして鉄道の安全運行という極めて重要な現場に実装されたのか。導入を主導した、近畿日本鉄道株式会社 総合研究所 上寺 功 主査と、丸紅I-DIGIOグループ アドバンストインテグレーションセグメント エンタープライズ事業本部 ストラテジックサービス事業部 AI営業課の前田 悠太 課長および片桐 一樹の3氏に話を伺った。
鉄道安全の最前線、踏切管理の重要性
――近畿日本鉄道(以下、「近鉄」)様において、踏切の安全管理はどのような位置づけにあるのでしょうか。
上寺氏 弊社は近畿・東海圏を中心に非常に広大な路線網を有しており、年間で約5億人超のお客様をお運びしています。この輸送を支える根幹は、何よりも「安全」であり、踏切は鉄道と道路が交差する極めて特殊かつ重要な場所です。これまでも「障害物検知装置」などによる安全管理を進めてきましたが、安全に対する社会的な要求水準は常に高まっており、弊社としても現状に満足せず、より高度な踏切管理体制を追求し続けてきました。特に近年は、踏切内を通行する歩行者や、お体の不自由な方、高齢者の方々の安全をいかに担保するかが、重要課題となっていました。

従来の検知システムの限界
――TRASCOPE-AIを検討される前、既存の安全装置にはどのような技術的な課題や限界を感じておられたのでしょうか。
上寺氏 最大の課題は、既存の装置が「人を人として認識できない」という点にありました。踏切にはすでに障害物検知装置が設置されていますが、これは主に自動車が踏切内で立ち往生した状況などを検知するためのものです。物理的なセンサーで「何かがある」ことは判りますが、それが人なのか、物なのかの判別まではできませんでした。従来の仕組みでは「何か居るよ、危ないよ」と伝えるのが精一杯であり、「これは人です」という確信を持って通知する手段がなかったのです。この「物体としての検知」から「人間としての認識」へという技術的飛躍が、これからの安全対策には不可欠だと痛感していました。
TRASCOPE-AI導入の決定ポイント
――数あるAIソリューションが存在する中で、丸紅I-DIGIOのTRASCOPE-AIを選定された最大の決め手は何だったのでしょうか。
上寺氏 決定的な要因は、検知のアルゴリズムに「骨格推定」を採用していたことです。より高い精度で、例えば「人が踏切内にとどまっている」ということを検知することが課題だったわけですが、我々としてはざっくり、「AIを使って人を検知することができるのではないか」という程度の認識しかなく、具体的なソリューションにどんなものがあるのか、ということまでは知らなかったというのが実情です。そんな折に、丸紅I-DIGIO様から、TRASCOPE-AIで、踏切における人の検知が高精度でできるという情報をいただきました。いろいろな機能、優位性がある中でも、骨格推定によって人間の検知精度が高いという優位性は、TRASCOPE-AIを使ってみたいと思った最大の特徴ですね。これは非常に画期的だと感じました。
それに加えて、屋外の厳しい環境下でも動作に不安がなく、またネットワークがないような場所であっても設置・運用が可能であった点も、導入のしやすさという点でメリットでした。

――技術面以外に、パートナーとしての丸紅I-DIGIOの対応や実績についてはどのように評価されていますか。
上寺氏 実績面では、すでに西武鉄道様などでの導入事例があったことは、大きな安心材料となりました。鉄道の現場を深く理解しているパートナーであることは、安全を預かる我々にとって必須条件でした。また、導入プロセスにおける伴走体制も素晴らしかったです。私自身、当初はAIについて詳しい知識を持っていたわけではありませんでしたが、丸紅I-DIGIO様の担当者は、私の初歩的な質問に対しても一つひとつ丁寧に、噛み砕いて説明してくださいました。内容に深く納得しながらプロジェクトを進められたことが、最終的な信頼へと繋がったのです。何事につけ、相談しやすい環境を作ってくださったので、PoC(実証実験)はもちろん、導入プロジェクトとして円滑に進められたと思っています。
前田 私共は単に製品を売るだけでなく、鉄道現場の安全という重い責任を共有するパートナーでありたいと考えています。弊社のソリューションはクラウド型を採用しておりますので、西武鉄道様などで培った知見や対応実績を、別の事業者様へもアップデートして展開することができます。こうした「鉄道業界全体の安全レベルを底上げしていく」という視点での取り組みも、近鉄様にご評価いただけたポイントだったのかなと自負しています。
TRASCOPE-AI導入によって実現した課題解決
――本格稼働に至るまで、約4年という長期間にわたるPoCを行われたとのことですが、どのような苦労がありましたか。
上寺氏 鉄道の安全に関わる以上、中途半端な妥協は許されません。そのため、弊社の厳しい基準に達するまで徹底的に実験を繰り返しました。さまざまな課題に対して、一つひとつ潰していくような地道な作業を続けました。一例を挙げると、屋外特有の光学的条件にはとても苦労しました。具体的にいうと「夜間」と「太陽光」の問題です。夜間の暗所での視認性向上はもちろん、日中においては「太陽光による影」の問題が立ちはだかりました。太陽の高さによって影の形が刻一刻と変化するのですが、AIがその影の形状を「人間」と見間違えて誤検知をしてしまうケースがあったのです。
片桐 その課題解決のために、現場の映像データを徹底的に解析しました。夜間に人が映った状態での追加学習を行ったり、複雑な影のパターンを「これは人ではない」とAIに定義し直したりするなど、いわゆる「ファインチューニング」を地道に繰り返し、かつ「ネガティブリスト」を作成して、誤検知になりそうなものを排除していくという作業を続けました。このプロセスには、検証と実装を含めて一つの課題につき数ヶ月から、長いものでは1年ほどの期間を要しています。

上寺氏 必要に応じて、こちらからもさまざまな要望を出し、それらの検証にも地道に対応していただきました。丸紅I-DIGIO様と連携してこの地道な作業を継続した結果、現在は検知精度が極めて高いレベルに達し、現場でも十分に信頼して運用できるシステムへと進化したと考えています。
もちろん、実稼働に至ったからあとは運用だけ、ということではなく、今後さらにブラッシュアップしてより精度を高めるために、何らかの課題が出れば、それはきちんと解決していくということは続けていきます。
――実証実験を経て、今では実稼働に至っていますが、実際の現場対応や運行判断のプロセスは具体的にどう変わったのでしょうか。
上寺氏 仕組みとしては、万が一、踏切内に人が取り残されたりすると、TRASCOPE-AIが検知し、その情報が列車の運転士に伝達され、運転士は列車を停止させます。同時に指令所ではTRASCOPEポータルというクラウドを通じて現場の静止画が表示されます。指令所の指令員は、モニター上で即座に「あ、これは人が取り残されているな」と画像で確認できるようになりました。この「視覚的な確証」があることで、指令員は迷うことなく運転士へ無線で適切な停止指示を出すことができるようになっています。

今後のさらなるDXに向けて
――現在の2箇所から、今後はどのように設置箇所を拡大していく計画でしょうか。
上寺氏 2026年度にさらに2箇所に設置し、まずは計4箇所での運用を予定しています。弊社の路線には多くの踏切がありますが、それぞれの立地条件や人通りによりリスクの度合いは異なります。これまでは人道踏切には検知システムがなかったのですが、今後はAIによる監視が必要な箇所を戦略的に選定し、効果的な安全投資を行っていきたいと考えています。
鉄道現場全体へのAI活用の展望
――最後に、今後の鉄道DXの展望や、丸紅I-DIGIOへの期待をお聞かせください。
上寺氏 踏切での成功は、我々のDX戦略における一つの大きなステップです。今やAI活用は当たり前の時代となり、現場の至る所に活用余地があります。例えば駅のホームです。ホームと電車の隙間への転落検知や、点字ブロックを越えた際の警告など、今回培った「骨格推定」技術はそのまま応用できるのではないかと考えています。
前田 おっしゃる通りです。骨格推定技術を用いれば、ホーム上でのふらつきや転倒、さらにお客様がホームの隙間に落ちてしまった際の検知なども、今の技術水準であれば十分に実現可能です。物理センサーでは反応しづらいようなケースでも、AIなら捉えられる可能性があります。我々はカメラ映像を活用した「駅全体の安全」についても、さらに踏み込んだ提案をしていきたいと考えています。

上寺氏 私が所属する総合研究所では、こうした先端技術をいかにして「社会実装」できるかを常に研究しています。丸紅I-DIGIO様には、他社にはない独自性のあるソリューション提案をこれからも期待しています。お客様に究極の安心・安全を提供し続けるため、今後も丸紅I-DIGIO様と共に、技術の限界に挑むような挑戦を積極的に進めていきたいと考えています。
――次世代型映像監視サービスにAIを活用するTRASCOPE-AI。活用されるシーンは実に幅広く、大型ショッピングセンターなどの駐車場の運用を効率化するなどの活用はもとより、河川の氾濫の監視など人々の安心・安全に資する活用シーンも増えている。鉄道事業における踏切の監視もそうした安心・安全のための活用の一例である。
丸紅I-DIGIOは、これまでに培ってきた豊富な踏切監視の実績を活かし、お客様と共に、さらなる課題解決に向けて、より効率的で高精度な検知の実現に取り組んでいく。
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